「悲夢」

2008年/韓国/93分/アメリカンヴィスタ/ドルビーSRD
キム・ギドク(Kim Ki Duk)監督
2009年3月28日(土) シネマート新宿


オダギリジョーという人は絵になる役者、なんだけど、いい役者だと思ったことは今のところない。下手、というのとも少し違う。根性で?
最初に見たのは、黒沢清監督の「アカルイミライ」。だけど、この作品の印象だけ、全然違う。公開時に見ただけなんだけど、ほんとに同じ人か?と思うくらい。


キム・ギドク監督の15作目。以前は、キム・ギドク監督作品は心が痛んで痛んで、覚悟して見る必要があったけど、最近はそうでもない。2003年の「春夏秋冬そして春」あたりから、作風が変化したような。乱暴に割り切ってしまえば、それより前は、ストーリーが奇抜だったけど、それ以降は、視覚・聴覚的に奇抜になった。
振り返ってみれば、「春夏秋冬そして春」の、湖に浮かぶ寺の床に彫られた写経に、猫の尾を筆にして色つけていく、というシーンがエポック・メイキング。


今作についていえば、オダギリジョーは日本語で話し、ほかの登場人物はすべて韓国語で話すのに、会話がなりたっているとか、家のロックの仕掛けや、オダギリジョーが住んでいる家の室内の扉のノブの形、とか。


見る・聴くことから、芋づる式に思考を野放しにしてみる、ということの純度を高めている、という感じ。ほかに、同じようなことをやっていると考えたことがあるのは、今のところマシュー・バーニー
映像的に近いのは、アレクセイ・バラバノフ監督の「フリークスも人間も」(1998年)の、客船の乗客が持っている鞄の模様がすべて同じだったシーン。