本物のロック(?)

1987年、ガンズ・アンド・ローゼズはアルバム「アぺタイト・フォー・ディストラクション」を発表した。セカンド・シングルの「スイート・チャイルド・オブ・マイン」が大ヒットし、ファースト・シングルの「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」、サード・シングルの「パラダイス・シティ」もヒットした。

 

ロバート・プラントは当時のインタビューで、彼らを評して、「最も本物に近い存在」と話していたらしい。続けて、「もう本物はいないんだ」とも(出典は忘れてしまったが、ロッキング・オンか、関係者のラジオ番組か)。

当時、思ったことを今から振り返ると、ロバート・プラントがマジック・ワードを使ったと考えていた。

 

先日、渋谷陽一さんのワールド・ロック・ナウのロンドン・レポートでは、「レッド・ツェッペリンIV」のリイシュー版レコードの発売が伝えられた。レポーターの児嶋由紀子さんによると、イギリス本国でのレッド・ツェッペリンの評価は、バッハやモーツァルトのレベルだという。

この話を聞いて、ロバート・プラントの「もう本物はいない」発言を思い出した。

 

大学のとき、音楽美学の授業でモーツァルトの楽曲分析の講義を受けた(曲名は覚えていない)。学問的な音楽の話は門外漢だが、授業の話はある程度理解できた。もうあまり覚えていないが、テーマか、主題か、パーツの分解と、それらによって構成される第一楽章の構造、第二楽章の構造との違い、など。音楽をこんなに論理的に聴いたことはなかったが、その後、レッド・ツェッペリンの曲を聴いたときに、このときの経験を思い出した。意識的にそう考えたわけではなく、気がついたら曲の構造を考えていた。

このような聴き方ができるほかのミュージシャンの曲もあるが、レッド・ツェッペリンの曲は聴き手に強制してくるように感じられる。

 

ロバート・プラントのいう「本物」は誰か。

ピンク・フロイドもそうかもしれない。ジェフ・ベックは?フランク・ザッパもそうかもしれない。

ビートルズは?ローリング・ストーンズは?

ジェームズ・ブラウンは?プリンスはどうか。

「本物」は、楽曲分析させる曲を作れたから「本物」になったのか。

ロックと分類される楽曲を作ったミュージシャンで、自分が「本物」と確信できるのはレッド・ツェッペリンだけだ。

では、プリンスとレッド・ツェッペリンのどちらが好きかと問われれば、プリンスと答えるだろう。